半端な言葉を書き殴る。


by kodomoking
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John Frusciante + 用意ドン

横一列に並び、一斉にスタートすると、隣に走るライバルの走りが気になるものだが。
世の中、横一列に走ったりはしない。
進学校では他校の状況を気にし、飲食店は隣の飲み屋の売り上げを気にし、建築家は建築家の動向を気にする。

Ill-BosstinoというMCがいる。
Such A Good Feelingという曲の中で、「漱石の前ではちっぽけな少年」と詠っている。
また、以前アルバイトしていた飲食店の店長が、「ライバルはディズニーランド」と言っていたことに感銘を受けた記憶がある。

ラッパーである以上ラッパーが競争相手であり。飲食店は飲食店がライバルだ。
食うか食われるかの世界で、勝負している。

しかし、もし競争が目的ではなく、個々の大局的な意思があるのならば。
文章を書く上で、ライバルは過去の偉人達であり。思想を唱える上では、歴史上の偉人達を超える必要があり。人を楽しませる点において、ディズニーランドのエンタメは戦う意義があるように思う。

それぞれの立ち居地において、さらに細分化した役割を検討し続けると。
細分化された役割、その一つ一つにおいて偉大な先人等との対決になるのではないか。
隣の同業者と戦うのは、結果のみで良い気がしてならない。

直接的な数字と戦えば、仕事の外に魅力が出来てしまうが。
仕事の可能性を信じ、next level での意義を掲げて挑めるなら、仕事に誇りと楽しみができる。



John Frusciante -The Will To Death
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John Frusciante の活動は常に主義と手段を選択した上で突き詰めた型を披露してくれるartistであると思う。Red Hot Chili Peppers では現代のrock music における最前線を、映画音楽においては、庶民の心の奥にまで浸透した芸を、そして、このthe will to death では最高にせつなく、美しいものを見せてくれた。
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by kodomoking | 2008-02-26 16:35 | rock
映画の世界とは、華やかで装飾の多い世界である印象がある。
ハリウッドにしろ、先日の日本アカデミー賞にしろ。
莫大な技術と資本を投下し、庶民の注目を得る。そんな映画が現代のメインストリートだ。

「小道具が勝っちゃう気がする」
ライブ中、体を傷つけ流血するといったパフォーマンスがあるPunkに対して、以前、爆笑問題の太田光が意義を唱えていた。
「誰でも使えるこの一本のペンで、これだけ凄いものが出来るという表現に魅かれる」と付け加えていた。

僕も似た考えを持っていて。
映画はもっぱら単館上映ものばかりだ。
カメラと脚本と監督と俳優と日常があり、そこに演出が加わると、これほどの感動を生み出す。 その単純な公式において。
注目度や装飾、ビジネス的な側面は、公式に複雑に絡み合い、本質を、表現を暈してしまう気がする。

本質を本質のまま表現する者は芸がない。
装飾に力を入れると本質から逸れる。

資本主義の世の中、表現とビジネスが結びつくことは必然であり、悪くない。
しかし、装飾こそ、最新技術こと、人を靡かせることこそ、立派な表現であるかの様な現状と社会の方向性には、どうしてもガッカリしてしまうわけで。
表現し何かを伝える以上、本質と装飾の対立というジレンマは常に抱えてもらいたいと望む。

母を想う身である僕は。
映画「東京タワー」は、小説同様、感動したが。
映画としての印象は薄い。

ただし、最新技術やその他の努力は評価されて当然。
それがあれば良いというならば違う気がする。


ANTINOMY -BRAHMAN
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初期PUNKの秘蔵っ子 The Fans -You Don't Live Here Anymore のカバーという、相変わらずのセンスを感じる。以前からの疑問なのだが、BRAHMAN自体、メロディセンス抜群でありながら、どのアルバムも、メロディ担当はカバーであり、シングル曲も全体に馴染ませた編集になっているが、何か考える所あってのことなのか。
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by kodomoking | 2008-02-19 15:47 | J-music